ステレオタイプ

精読の授業で、「淑」字の説明から、老師の日本女性観及びアメリカ女性観にまで話がとんだ。

簡単に彼の女性観をまとめると、日本女性は「操を守る」に代表されるような慎ましい女性であり、アメリカ女性は「セクシー」に象徴されるような女性である。
この話を聞いて、同班同学のハワード(アメリカ人)は「ステレオタイプ」と評していたが、その意見に出席者は自分を含めて全員賛同。


さて、老師の女性観はどこで形成されたのだろうか。彼はインターネットを駆使するようには見えないし、話し振りからTVや映画に基づくものと思われる。中国では情報規制が多く(無論、日本でもある。ここでは相対的な意味で)、これは限られた情報から導き出された女性観だと言える。これを彼より情報を「多く」有している(受信する情報量の多さや、実態に触れる機会の多さ)我々が笑うのは簡単である。


では、情報を「多く」有しているはずの我々がステレオタイプな考えを抱くのはなぜか?それは、「多い」はずの情報に逆に足元をすくわれたり、思考停止に起因するのではないだろうか(後者が主要因であると思うが)。
己のステレオタイプを棚上げし、他人をステレオタイプと言う自分。「自分(ひと)の振り見て、我が振り直せ」である。