あぁ青春

最近の記事を見ていると、いつも飢えることに怯えながら、本ばかり読んでいるようだが、今回もご飯を食べにいったお話から。


一昨日の夕方、いきなりクリスが火鍋を食べに行こうと言い出した(いつも、火鍋はハイカロリーだと言うくせに)。さすがに今年に入って3度目なので(3日に1度の計算)、丁重にお断りすると、「今日は自分の友達も来るので、お前にとっても有意義なはず」と宣われる。それも一理あると思い直し、ノコノコ一緒に出かけることに。

行ったお店は大門口(ダーメンコウ、正門)近くのいつものお店。店に入ると、グツグツ煮える火鍋を前に3人が我々の到着を今や遅しと待ち構えていた。この日の鍋は、鶏鍋、ご丁寧に足まで入っている。その後は、クリスの友人2人が食べる食べる、あっという間に鍋を平らげ、大量の猪血(ジューシュエ、豚の血の煮凝り?)・麻花(マーフア、味のない揚げパン)・麺を投入(もっと野菜を…)。2時間ほどして、4人が全く食べられない状態になり、店を出ることになったのだが、ただ1人喋りつづけたクリスだけが、名残惜しそうだった…(彼は店を出ると、他の店で棗を買って食べていた)。


その後、大学に戻るまで、この4人がじゃれあうことじゃれあうこと。時に、男同士腕を組んでみたり、その子に向かってゲイ呼ばわりしてみたり、追っかけまわしてみたり…まるで子犬が戯れているよう。見た目は余り変わらない(自分より大人っぽい顔の子も何人かいた)のに、こういうところで若さって出るなって、おじさんは少し遠くから見ていたわけでございます。こんな光景、最近みてないな、というより、この感覚って、中学・高校時代に通った男子校の感覚に近いのかもって、少しノスタルジーに浸ってしまいました。

ちなみに、自分は今でも中学・高校時代(ちなみに中高一貫だった)の友人とは年に数回会うのだが、以前友人の奥さんが、「普段とここに来たときの彼は、全く人が違う」と言っていた。要するに、大人はTPOによって人間を使い分けるということなんだね。そういうものかと思い、ある人に「普段とここに来た時、自分は変わるかな」と聞いてみると、全く変わらないそう。ということは、自分は単におっさん化した子供ってことか。大人って年齢ではないんだな…


追記.
そういえば、クリスが自分の名前を友人に紹介すると、みんな自分のことを知っていてビックリ。これは、たまたま他の場所で遇った友達(この子は「お前はアホだ」という立派な日本語を披露してくれた)もそうだった。その点クリスには感謝したいのだが、一体どのように伝わっているのだろう…