外国語

以前、英語がわからなくて、英語が堪能な日本人(Aさん)に、「○○って英語でどうやって言うの?」と尋ねて、ひどく困らせたことがある。Aさんは何年もアメリカにホームステイしていた経験があり、アメリカ人が聞いても、とても流暢な英語らしい(語彙の豊富さはもちろんのこと、変な訛りもないとのこと)。それほど難しい質問でもなかったのにもかかわらず、なぜAさんがそれほど通訳するのに困ったのか、不思議に思ったものである。


現在、自分の中国語の語彙は相変わらず少ないものの、何とか中国語らしきものを話せるようになって来ている(と思う)。そんな自分が時に(本当にわずかだが)中国語で問題なく話せることがあるのだが、改めて考えてみると、それは中国語で思考している時であることに気づく(もちろん、語彙数に起因して、考えられる内容はかなり限られるのだが)。一方、日本語で熟考した後に、それを改めて中国語に直して話してみると、中国人に怪訝そうな顔(要するに、よくわからんという顔)をされる事がよくある。


これをAさんの例を合わせて考えてみると、外国語を話せることと、母国語を外国語に翻訳できる能力は異なっているのではないかと思えてくる。例えるならば、2ヵ国語を話す能力は並行して流れる川であって、通訳や翻訳という能力はそこに橋をかけることであるように、それぞれは別の能力であり、2ヵ国語が話せるからと言って、通訳や翻訳がすっと出来る訳ではないのではないだろうか。


上に書いたことは、もしかしたら、当たり前の事なのかもしれないし、ただの見当はずれかもしれない。それでも自分は構わないと思っている、単に経験から類推したことを書いたまでなのだから。それでは、何故このような駄文を書いたかというと、理由は簡単。自分が帰国した際に、「これは中国語では何て言うの?」と聞かれたくないために、予防線をはったのである。