E.W.サイード『人文学と批評の使命―デモクラシーのために』ほか

心身ともにすぐれないので、しばらく引き込もって自分のことに専念しようと思います。


昨日話していてジレンマを感じたのが、自分のやりたいことに対して、己の研究が「最良の」方法足りえているかどうかということ。「最良」でないなら、研究を放棄して「最良」の方法(少なくとも、そう思える方法)に鞍替えすれば良いのだろうが、研究を放棄することはできない(これに固執するのは、自分にとって意味があることだ)。このジレンマをどうのように解決するか、これが大きな問題。


意識した訳ではないが、今日手にしたのは、E.W.サイード人文学と批評の使命―デモクラシーのために』、鹿島徹可能性としての歴史―越境する物語り理論』、ピーター・ゲイ『小説から歴史へ―ディケンズ、フロベール、トーマス・マン』、今村仁司ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫)』と歴史学関係の本ばかり。


人文学と批評の使命―デモクラシーのために

人文学と批評の使命―デモクラシーのために

可能性としての歴史―越境する物語り理論

可能性としての歴史―越境する物語り理論

小説から歴史へ―ディケンズ、フロベール、トーマス・マン

小説から歴史へ―ディケンズ、フロベール、トーマス・マン

ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫)


当たり前だけど、借りた本のリストを見ると、その時何を考えていたか(考えようとしていたか)がすぐわかってしまい恥ずかしい。そして、これらの本を読んだからって、一気に問題解決といかないのが悩ましい…



追記.(08・5・30)
上には「ジレンマ」などと最もらしく書いているけど、ただ単に、隣の芝生は青い現象かもしれないし、自分の研究に没頭すればこんな「ジレンマ」は前面に出て来なくなるかもしれない(ただし、決して消えない)。