「言語」とコミュニケーション

つれづれなるままに感じた事を記してみたい。

中国に来て感じることは多岐にわたるが、中国に来る前に身につけておけば良かったと思う事が二つある。それは中国語・英語などの言語、及びサッカーやバスケなどのスポーツそして音楽である。


中国に来てまず苦労した(している)のは言葉の問題である。中国語ができれば中国人とコミュニケーションが取れるのは勿論のこと、よしんば中国語が無理でも英語を取得していれば一部の中国人とはコミュニケーションが取れる。また留学生同士の会話も中国語か英語で行われることがほとんどなので(無論、同一国の人間であれば「母国語」を使用する)、その点においてもこれらの言語が出来ないと不便に感じる。


同一語を理解し合わなくとも、ボールさばき・楽器の演奏・歌などが耳目を惹きつけるものであれば、コミュニケーションは可能となる。これはサッカーやバスケなどに顕著であると思われるが、ある程度同一のルールを国籍などの境界にかかわらず多くの人が共有しているためである。音楽にも国によって独自性はあるものの、「素晴らしい」楽器の演奏や歌が多くの人を惹きつけるのも、それらに対して共有している何かがあるためではないだろうか。このように考えると、スポーツや音楽などもまた「言語」と言いうるのかもしれない。


結局、自分はコミュニケーションの術(共通「言語」)を持たないまま、異国の地に来たことになる。いつになったらコミュニケーションを取ることができるのだろう…


追記.
上に記したのは素朴な感想である。言語論やコミュニケーションに関する研究は、今に至るまでかなりの積み重ねがあるように思われ、それらを踏まえていつかは感想以上のものを書ければと思う。