カルチャーショック

今日から、本格的に史料購読の授業が開始。日本では、2つの大学(10人ほどの先生)の史料購読を受けてきたが、どのやり方とも違い戸惑うばかり。


史料購読が全て中国語で行われるのは勿論だが、まず冒頭の文章(晋代までの皇后の変遷)や詩などを読まないことに驚いた。自分の所属大学では、「書かれているものは何でも読む」という方針で史料を読んでいた。こうすることで、全体を頭に入れてから内容に迫るのだが、中国では院生レベルにもなると、こういう考え方を授業で教え込む必要はないのだろう。


また、読むスピードが桁違いに早い(それに伴い、中国語もかなり早い)ので、ついていくのがやっと(というより、ほとんどついていけない)。日本に居た頃は、レジュメ(少なくとも、訓読と注釈は付していた)をきって報告したので、聞く方も便利だったのだが、もちろんそのような物は準備されておらず、中国語能力の低い自分はいっぱいいっぱい。1人分の伝が終わると、先生が適当(原義の)に質問し、院生がそれに答えていく。


興味深かったのは、授業の初めに列伝を読んで感じた院生の興味を討論する時間が設けられていること。日本でも内容に関して討論をすることはあったが、院生がそれぞれに討論のテーマを提出する事はまれだった。今の目標は、ここで先生や院生を相手に、討論できる中国語を身に付けることかな。


何にせよ、初めての史料購読はカルチャーショックのオンパレード。そして、自分の中国語能力の低さにただただ凹んだのであった。


追記.(2008・02・29)
武漢大と所属大の史料講読の授業で、一番大きな違いは、史料を先生が用意するか否か。武大の史料講読は、前回の授業で先生が指摘した箇所を、学生自身で史料を用意していかなくてはならない。そこで、武大の学生さんは、史料室や図書館で史料を借りてくるのだが、驚いたことに、授業中に聞いた内容を借りた本に書きこんでいく。日本では公共の本に書きこむなど絶対あってはならないことだが、先生の目の前でしているところを見ると、こういうことは日常的に行われているようだ。その度量?許容量?の広さに、公共概念を小さい頃から叩き込まれてきた自分は、驚くばかりだった。