柄谷行人『探究Ⅰ』

旅行に持って行った『探究(1) (講談社学術文庫)』をようやく読み終えた。


読み違いを恐れず書くならば、この書の一貫したテーマは「他者」であり、柄谷の言う「他者」とは、自分と共通の規則(コード)を有しない者である。この「他者」は、プラトン以降の哲学をはじめとした様々な分野で語られてきた他者とは異なり、柄谷はむしろそこでは「他者」が隠蔽されてきたと指摘している。そして、隠蔽されてきた「他者性」を回復するための手段としてイロニー(「他者」との対話)の必要性を説いている。


上記のテーマを説得的なものとするため、柄谷氏は古今の文献を縦横無尽に用いており、門外漢の自分はただただうなずくばかりであった。ただ、イロニーは単に「他者性」を回復するためだけのものなのであろうか。このような問いを発してる時点で内容を理解できていないような気がし、そして全く学問的でないのだが、自分はイロニーにより多くの可能性を期待したい。


書けば書くほど、頭は混乱し、何を書いているかわからなくなる。頭を整理するためにも、この本を読むために中断していた、そしてこの本で批判されている形而上学を知るためにもアリストテレスの『形而上学』を明日からまた読み始めるとしよう。