中国の歴史教育

昨日、武当山から戻ってくるときに、興味深い話があったのでメモをしておこうと思う。


我々が1時間弱遅れてやってきた電車に乗り込むと、すでに別の人が我々の寝台に座っていた。1人は30代ぐらいのサラリーマン風(スーツを着ていた)の男性で、もう1人は50代ぐらいのおじさん。そこで、自分が中国の歴史学を専攻している日本人だと知ると、自然に歴史へと話題が移っていった(もちろん、以下は自分が聞き取れた範囲内での話である)。


興味深かったのが、サラリーマン風の男性が、自分にモンゴルの歴史を教えてくれと言ってきたこと。初めは、単純にモンゴルの歴史がすきなのかと思ったら、そうではなく、中国ではソビエトの援助を受け、中国から独立した外モンゴル(この考え方にも問題はあるのだろうが)の歴史はタブーで中学・高校では教えてもらえないらしい。また、色々な政治問題が絡む、中国の少数民族であるはずの西蔵(シーザン、チベット)や新疆(シンジャン・日本の発音ではシンチャン)などの歴史も同様にほとんど教えられることはないらしい(クリスの友達の1人は、それが中国の歴史教育の大きな問題だと言っていた)。
これらの疑問やそれを問題視するという態度が出てくるのは、恐らく中国の国土に彼らが含まれていること自体何らかの問題があると、すくなくとも一部の人は思っているからだろう。日本で、アイヌ琉球の歴史を知りたいという人間(専門家などを除く)がどれほどいるだろうか。このような興味が出てこないのは、アイヌ琉球の問題が国民の中で問題視されていない(もしくは、すでに解消された問題だという)態度の表れだと思われる。ただ、少し気になったのは、同じく中国の抱えているはずの台湾について、全く議論がなされなかったことである。これが偶然なのか、台湾は別と思っているのかはわからないのだが。


また、中国の中学では、中国史以外に世界史と称して、別の国の歴史も一部(インド古代史・ギリシャ史など)習うらしい。但し、サラリーマン風の男性(話の内容から、彼は「高等教育」を受けているように感じた)の「○○なんて小さいな国の歴史を学んで何になるの」という言葉に端的に表れているように、日本の世界史教育が、ある程度のバランスを考えてなされている(あくまで相対的な意味で。日本の世界史教育でも西洋や東アジアに重点がおかれすぎだという指摘がなされている)のとは異なる。さらに高校の歴史の授業では、1860年以降の近代史しか習わないらしい。これは古代史から始めて、しばしば現代史にまで到達しない日本より、中国では近現代史を重視しているためであろう。(但し、一部の学生は近現代史しかしないことに、不満もあるらしい)


これだけ、歴史の話をしていたのにもかかわらず、日本人である自分に対しての攻撃?や批判?はなかった。但し、ほとんど聞き取れなかったのだが、50代ぐらいのおじさんがいきなり早口で「日本が…進軍した…」などと笑いながら話していたのは少し気になったが、多分悪気はないのだろうし、正確に聞き取れず、また応答もできない自分にはなす術もなかった。


今回一緒になった人々の話を一般化はできないだろうが、中国人の歴史に対する高い関心、政治と歴史がダイレクトに関係しているのを目の当たりにした一日だった。